Yohkoの“はごろも通信”

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【ベールを脱いだ女神イシスとは。。。『マグダラの書』より】

【ベールを脱いだ女神イシスとは。。。『マグダラの書』より】

 

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はじめてマグダラのマリアの名前を聞いたのは4年前。

ある日

友人の亜矢子さんと会う約束をしていましたが

彼女が出かけようとしたときに

ふと家にある

イエス・キリストの生涯を描いた漫画が目に留まり

私が読んだらよいとなんとなく感じて

貸してくれました。

貸してもらって

「ああ、イエス・キリストの一生のお話だな」と思って

すぐに返しました。

その中ではじめて

マグダラのマリアという人がいたのだなと知りました。

 

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それからしばらくして

岡山にあるサムハラ神社の奥の院に行くと

神社の上の樹がおいでおいでと誘います。

樹のそばにいってハートを合わせると

エデンの園の話と

原罪のリンゴと蛇の夢をみせてくれました。

 

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***

 


蛇が教えてくれたリンゴは甘美

「禁断」じゃなかったんだ

 「愛」のリンゴだったんだ

食べたら悪い子になると思ってたよ

美味しいもの食べたいよね

教えてくれてありがと蛇さん

 

***

 


樹のハートからとどく言葉は

言葉というよりも夢。

 


聖書のエデンの園のお話だと思い

翌日、まだ見たことがなかった

映画の『ダビンチコード』を見たくなり

レンタルで借りてきて見ました。

そこではじめて

マグダラのマリアとイエスの子のサラの存在を知りました。

映画に出てきた性のタントラは

錬金術アセンションツールの秘技として

さまざまな宗教の中で伝えられてきました。

そして映画がきっかけで

『マグダラの書』に出会い

サムハラの樹が教えてくれた『愛のリンゴ』とは

このことだったのだとわかりました。

 

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***マグダラの書より〜トムの序文〜ある女性の物語によせて***

 


   この本の最初にこのように個人的な物語を加えたのはなぜだろうかと思う人もいるだろう。結局私たちはみな、それぞれの物語を持っていて、他人と比べてどちらがより重要かということはない。実のところ、マグダラのマリアがジュディに「彼女の物語」を書くように告げた後、私たちは何度も何度もマリアに問いかけた。本が完成し、出版の準備が整った時点でも私たちはマリアの気が変わっていないかどうか最後に確認した。気が変わるどころか、彼女はジュディの個人的物語の要素が多くの女性に語りかけ、彼女の経験が世界中の女性たちと分かち合われると断言した。そしてこれは、女性性が尊敬と力の位置に戻るためのものであることを、マリアは私たちに思い起こさせた。

   しかし最初に、虐待、裏切り、尊敬の欠如、力の剥奪のパターンが所有され受け入れられなければならない。

   この『マグダラの書』と何ヵ月も過ごしてきた現在、私はマグダラのマリアの言うことが理解できるように思う。それはソフィアとロゴスの原理に基づいている。これらについてすでに理解している人々には、私がここで説明することを許していただきたい。しかし私は多くの人がこの原理について理解していないと感じるのである。このロゴスとソフィアに関する理解の欠如は、教会聖職者たちによるキリスト教世界の神学からの女性性追放の試みの結果だと思われる。それは紀元一世紀にさかのぼる。

 


   多くの人はおそらく、教会の二千年の神学の中心にある「ロゴス」という言葉を聞いたことがあるだろう。ロゴスとは宇宙それ自身の知性(論理)である。それは根本的創造力(または神)である。伝統的に神学者や哲学者たちは、ロゴスを男性原理と考えてきた。この概念は、キリストより何千年も以前の古代異教徒の世界にまでさかのぼる。神話的レベルでは神々は太陽とみなされ、女神たちは月に関連づけられた。この背景において、スピリットは意識の太陽の領域(男性)に存在し、地球(物質)は意識の月の領域(女性)に属すると想像された。これにより空(天)は男性性に、大地は女性性に結びつけられた。

   異教徒の意識では、すべての創造が男性性と女性性(スピリットと物質、空と大地)の宇宙的力の相互作用の結果であると理解していた。一方の力がもう一方より重要だということはなかった。それら二つの力がそろわなければ、創造は不可能であった。実り豊な創造の鍵は、それが宇宙的であろうと個人的であろうと、これら二つの力のバランスであると理解されていた。

   教会の政治的野心が生まれる以前のキリスト教の最初期には、このことが一般的に理解され広く受け入れられていた。この女性性の地位の理解は、ソフィアの概念に最も明確にあらわれている。

   ソフィアは神性の女性的側面として見られていた。彼女はロゴスの神聖なる妻であり、彼らは不可分とされていた。ロゴスが創造のための刺激(思考)を発するとき、ソフィアがそれを実現した。彼女なしには創造は不可能だった。彼らは一枚のコインの裏と表であった。ロゴスはスピリットの領域にとどまり、創造の計画を形作った。しかしその種(創造の考え)をロゴスから受けとるのはソフィアであった。そして彼女が物質領域の現実にそれを誕生させた。

   ソフィアは宇宙の母(コズミック・マザー)として知られ、エジプトのイシスやその他の古代文明の女神たちと同じ尊敬の地位を分け合った。ソフィア論によると、彼女はイェシュアの母マリアとして生まれ変わった。そしてこれによって、言葉(ロゴス)の具現が肉体(イェシュア)となった。神の子が現実化したのである。しかしソフィアが女性として生まれるという神聖な行為なしには、これは起らなかった。そのときにのみ、神(ロゴス)は男性として生まれることができるのである(ソフィア=マリアの子宮の中に)。

   初期のキリスト教世界の神学者たちのあいだでは、この概念は広く理解されていた。そして暗黒時代にその書物のほとんどは破壊されたが、いくつかは残った。

   しかしソフィアに関する女性性の教えにとって、ある不吉な出来事が最初の数世紀にわたり起こった。彼女の痕跡のすべてを、キリスト教の経典や、思想から取り除く運動が起きたのである。

   比喩的に言えば、教会は月を、その暗い神秘のすべてとともに抑圧したと言える。女神はベールに隠された。そればかりでなく、彼女について語りことさえ異端とされた。彼女の名前を口にしただけで、命を失うことすらあったのである。

   太陽はその絶頂にあった。神(ロゴス)がすべてであった。その後、不思議な聖三位一体ーー父、子、精霊が出現した。ソフィアまたはマリアの名前はどこにもなかった。三位一体に女性性は存在しない。そして女性性は重要な位置から追放された。

   さらにひどいことには、彼女は軽蔑された。拡大する大司教協会に採用された創世記の公式版では、人類の没落の源はイブ一人の肩にまともに背負わされた。結局のところ、彼女はサタンの蛇からリンゴを受けとった。そしてこのひとつの宿命的な行動により、彼女(一人の女性)は次に続く全世代を呪うことになる。

 


   けれどちょっと待ってほしい。創造神話には他にもいくつかのバージョンがある。私たちが受け継いだ公式版はそのうちのひとつにすぎない。グノーシス主義の教えによると、蛇は「いいやつ」であった。実のところ蛇は、アダムとイブを嫉妬深い神(エホバ)の専制的支配の下から助け出そうと試みたのだ。そしてこの解釈では、蛇は単にアダムとイブの正当な性質のひとつである。神のような意識の力への道を開いたのだ。

   グノーシス主義とは、その伝統がさまざまな様式で古代エジプトまでさかのぼる、優れた指導者たち長い系統である。彼らは仲介(聖職者)の必要なしに、直接啓示を受ける力を信じていた。もちろんこれは、教会の政治的、金銭的欲望にそぐわなかったため、グノーシス主義者たちは異端者の烙印を押され、即座に投獄され、殺されるとうことが日常的に起きていた。

   グノーシス主義の見方では、イブはリンゴを受けとることにより、人類を神のような力の所有者へと近づけたヒロインである。しかし協会が広めた神話の中でイブは、アダムをだましてサタンのリンゴを受けとらせた弱く呪われた存在であった。

   神話は力を持っている。それは文化という布の上に広げられ、その態度や信仰を色づける。そして公式に認可された創造物語の結果、女性は月の暗く危険な生物であり、悪魔とつき合う性質があるとされ、相当の苦しみを受けた。中世の学識者や神学者らが、魔女狩りや、その他の女性に対する訓戒を正当化するために記したでたらめな話を読めばわかる。この扇動的狂気は、十七世紀のアメリカ植民地時代、セーレムでの魔女裁判まで続いた。

 


   しかし私は、キリスト教世界の太陽に傾きすぎた神話によるダメージは、女性に悪のレッテルを貼ることよりもはるかに広がっていると思う。男性も含めた社会全体が苦しんでおり、その理由がこれである。

   創造の女性的側面(物質そのもの)から私たちを切り離すことにより、二〇〇〇年にわたり西洋文化に感染している、ある深いスピリチュアルな病(不安)がある。

   私たちはスピリットの領域に憧れるが、この地球での体験を拒絶する。私たちは天と地を争わせる。地球は結局のところ汚れているのだ。私たちがここにいるのは神の恩寵から堕落したからに他ならない。もし私たちがこの世に生まれるという行為だけで生まれながらに罪深い者ものならば、誕生に続くすべては偽りである。真実は私たちとともにあるのではなく、天にあるのだ。

   スピリットの表現である地球での体験は、現代の文化的神話によって否定される。だからこそ私たちは、心なく地球を略奪し破壊することができるのだ。神話のレベルで地球は女性であり、女性とは結局、ただ利用されるものである。

 


   しかしこの誤信の危険は、私たちの母なる地球(ガイア)を略奪することで、私たち自身を支える生態系のルーツを破壊することにある。そして生物科学は、私たちの生態系の枯渇を訴える緊急警告であふれている。

   現在の驚くべき速度で進んでいる動植物の種の絶滅が、私たち自身の生存を脅かすということがわかるだろうか?いや、私たちはそれらすべての上に立つものである。私たちは自らを、自分たちの意志どおりに自然界を支配し征服する固有の権利を神から与えられた、自然界の頂点であると考える。

   他の生命体が自らの意志を持ち、それが私たちと同等に重要なものであるというアイデアは決して浮かばない。そして私たちとその他の生命体との平等な共存の概念は、大衆意識の中にほとんどない。これは私たちが、それぞれの生命体をスピリットの表現として見ないところに本質的理由がある。無意識のレベルで、私たちはそれらを分離する。生命があり、スピリットがある。天と地はひとつにならない。神話のレベルで地球はひとつの中間地点、「天国での永遠の命」と「地獄のような地球での来世」のどちらに値するかを試すテストとしてとらえられる。

   このコヤニスカッティ(ホピ族の言葉でバランスを失った世界)は、私たちの文明を破壊しかねない。生き残りのためには、バランスを取り戻さなければならない。神話的に言えば、私たち自身の内なるベールを外さなければならない。女性原理が支配したりされたりしない平等な力として、共同創造者としての正当な位置に戻されなければならない。

 


   これらすべては、あなたがこれから読む物語につながっている。なぜこれがそれほど適切なのか?

 


   ひとつには、私たちが継承した霊的価値のゆがみにさかのぼると思われる。もしも魂を具現するものとしての私たちの生命が汚れているならば(肉体を持つというだけで)、私たちの体験には精神的不安がある。それらは結局のところ、地球の体験であり、スピリットではない。

   けれどもスピリットと地球の調和においては、両方が評価される。「光り輝くスピリットの世界」と「肉体を持ち地球にへばりついた人生経験」のどちらも、本来的に神聖なものである。洗濯物を干すことが、聖典を読むのと同等に啓発的でありうる。

 


   すべては精神的姿勢しだいである。

 


   ある人がかつて、「〈宇宙の母の帰還〉とはどういう意味か」と私に尋ねた。それはそのときになってみないとわからないことも含め、多くの意味があると思われる。しかし少なくとも、ひとつの文化的シフトをもたらすであろうと想像される。私たちは地上での生活とそのすべての体験を、物質をとおしたスピリットの表現として理解する。スピリットと物質間の争いではなく、聖なる婚姻として。

   このスピリットと物質のあいだの聖なる婚姻は、最高傑作または大作と呼ばれることがある。それはスピリット(ロゴス)が、ソフィアの恩寵によって物質に降り、変化してふたたびそれ自身に戻るという、物事の始めと終わりである。

   私たちの人生は体験という錬金術の炉の中で築かれる。自己啓発の大作に自ら参加することを選択する人々にとって、人生経験は自分自身の偉大なる教師になりうる。

   

あなたはある女性の物語を読もうとしている。彼女は「今この時」に、自己啓発の大作に取り組むすべての女性に共通する何かを伝えている。私たちの文化における女性性の地位の復活は、女性たちが自分自身、自分自身の物語を受け入れることから始まる。

   過去二〇〇〇年の苦悩と偽りは、女性が一人、自らの力を得るたびごとに終わりへと近づく。一人の男性が、まわりの女性と自らの女性性を尊重するたびごとに、ソフィアの回帰のときが近づいてくる。

   この実現に励む人々こそが、「宇宙の母の帰還」の一部である。私たちは太陽とバランスをとるためにベールを脱いだ月であり、男性性とバランスをとるための女性性の復活である。

   「今この時」に、天と地がひとつになるように。

 


[マグダラの書〜ホルスの錬金術とイシスの性魔術  トム・ケニオン&ジュディ・シオン著  鈴木里美訳ナチュラルスピリット]

 


*************

 

 

 

 


この『マグダラの書』を知ったのは

2015年8月8日の

サムハラの樹に出会ったときでしたが

その三ヶ月前の誕生日の日の朝

雷の轟く中で

龍神さまとのエネルギーセックスで

力強い性のエネルギーが湧き上がるのを

体感しました。

それが命の源である

クンダリーニエネルギーであるとはじめて知りました。

サムハラの樹に会った後

『マグダラの書』を読み

雷や大樹や山などの

大きなエネルギーとのエネルギーセックスだけではなく

男女のセックスでも

このエネルギーが渦巻く体験をしました。

 

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このエネルギーは

どんな小さな原子にも

砂つぶにも

どんな大きな星にも銀河にも

渦巻くエネルギーであり

そこに形態場を合わせることで

至福(アーナンダ)のエクスタシィーを体感します。

万物とのエネルギーセックスで到達する

サマディのひとつです。

 


この体験は

良いことでも

悪いことでもなく

ただ深い意識の体験をするという

宇宙からのギフトでした。

そうしなければならないものでもなく

ただそういうものがあるということを

今世を選んで生まれてきた『私』は知っていて

それを記して伝えることが

大きな意識が『宇宙の摂理』を思い出す

呼び水のひとつとなるのだなあと

感じています。

 


みなそれぞれの物語を語ります。

ひとつひとつが

原初の音から生まれた

大切な光です。

 

***


わたしはあなたをたっぷり愛して

あなたはそれをみんなに伝える

すると天と地のあいだにふとい柱がのびてつながり

ひかりがいっきにひらたく多次元に広がっていく

天はサヌキ

大地はアワ

つながってウズメとなり

ひふみよい

むなやこと

愛にあふれた現象となる・・・

 

***

 

・・・2015年9月30日

ちょうど4年前に

お空が伝えてくれた言葉です。

 

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#マグダラの書

 

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真弓 陽子 Yohko Mayumi

 

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1994年  手術室看護

1999年より訪問看護に従事

三児の母

2014年瞑想を始め

スピリチュアルな世界に興味を持つ

『神聖幾何学』や

『イシスの性魔術』等の

ヒーリングツールを用いて

癒しと目に見えない世界について

人々に伝えています