
『何者にもならなくていい☆「す」でいこう』
昨年、2015年4月
新年度が始まる日、相模の寒川神社をお参りして社内の神の池でぼんやり噴水を眺めていたときのこと。
数年前から不登校でサドベリースクールに通う三人の子どもたちのことを考えていました。
「今年も学校に行かないんだろうなあ、、、」
どれだけまわりからアプローチしても、ずぇったいに学校に行かない子どもたち。
心優しいだけに、そのアプローチに対して強い自己否定とたたかいながらも、勇気を持って『行かない選択』をしている子どもたち。
心のままに生きるしなやかな強さをもつ人たち。
その生き方にあこがれるほどです。
そのとき、ふと、親として、三人の名前に込めた思いに氣づきました。
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帆を立てて風を切ってすすめと
「力帆」という名をつけました
天高く飛ぶ竜のようになれたらと
「竜飛」という名をつけました
和やかな女らしさにあこがれて
「紅和」という名をつけました
「私」が「あなた」につけたけれど
みんな「私」のことでした
前へすすみたくて
飛びたちたくて
あこがれて
「私」の思いを背おわせた
そんな荷物は重たかろう
それをここへ置いて
好きなところへゆきなさい
その「名前」は、、、
そんな「母」がいたなと
笑ってください
名前を見るたび
笑ってください

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何かになろうとして、なかなかなれなかった母。
良い娘、りっぱな社会人、すてきな妻、やさしい母、強いひと。
子どもたちに自分の思いのバトンを渡そうとしてたのか。
ハッとして、これからは三人の名前を呼ぶたびになんとなく恥ずかしい気持ちになるのかなと思いつつ、そんな母の思いをうっかり込めてしまった名前たちがとても愛しく思えました。

何者かになろうとする自分。
その年の夏、岡山・出雲ドライブ旅行で、岡山の吉備津彦神社に参拝したときのこと。
きれいなアメジストのフクロウ。
手に持って眺めていると、
「何者にもならなくていい、「す」でいこう」

と聴こえてきました。
それもまた、聴こえるというか、感じる。
その頃は、いろいろなエネルギーを感じはじめた頃。
愛魂の道場に通ったりワークショップに参加してみたりしながら、何のためにやっているのか、何になりたくてやっているのか、よくわからないまま、目標とか使命とかみたいなものを求めていたような氣がします。
目標を見つけて突き進みたい感じ。
でも、何にもなりたくない。
そんなときに、
「何者にもならなくていい」
って言われたら、とたんにホッとしました。
「す、でいこう」
って言われたら、うれしくなりました。
私の「す」は、、、
お日様浴びて、はなうた唄って、みんなのことが大好きで、腹の底から笑って、美味しいものを作って食べて、美しいものをみて、お月様みて、寝る。
ときどき泣いて、悲しくなって、また、喜んで、笑う。

それでいいんだと思ったら、うれしくなりました。
「す」のままで膨らんだタマシイを、きっとみんなも喜んでくれる。
何か別モノになるんじゃなくて、私の中にもともとあったモノ。
子どもたちも、みんなも、「す」のままでいこう。
きっと、海も、山も、空も、太陽も、月も星も、喜んでくれる❤︎

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真弓 陽子 Yohko Mayumi
1994年 手術室看護
1999年より訪問看護に従事
三児の母
2014年瞑想を始め
スピリチュアルな世界に興味を持つ
『神聖幾何学』や
『イシスの性魔術』等の
ヒーリングツールを用いて
癒しと目に見えない世界について
人々に伝えています