【この世界には、真に永続的な満足をもたらすものは何もありません〜マハリシ『超越瞑想』より】
【この世界には、真に永続的な満足をもたらすものは何もありません〜マハリシ『超越瞑想』より】
世界平和の問題を完全に、そして最終的に解決するためには、永遠に自由な聖なる意識すなわち神意識を確立することが必要です。個人の平和、家庭の平和、社会の平和、世界の平和など、あらゆる面の平和を達成する方法は、いつの時代でも世界の大きな問題でした。
平和の基盤は至福です。幸福でない人は平和ではありえません。永続的な幸福でない平和は、単なる受け身の状態でしかありません。夜眠っている間は活動がなく、これを平和と呼ぶこともできるでしょう。しかし、朝起きて、再び思考や言葉や活動の領域に入ると、 睡眠中の無活動によって感じた平和は、決して永続する平和ではないことがわかります。
雑念を払いのけ、心を空っぽの状態に保つことによって得られる平和は、想念の圧力がここにないというだけのものです。このような状態に入った心が、再び思考や行動の領域に戻ってくると、従来どおり想念や行動の圧力を感じ始めます。そのとき、その人はまた平和の欠乏を感じ始めるのです。心を静かにするこのような行法はすべて間違っています。このような行法を長い間続けると、心の働きが鈍くなってしまいます。
沈黙のうちに座り続け、内なる声(「神の声」とこの人たちは呼んでいます)を聞こうと努めるグループがたくさんあります。このような方法はどれも、心を受け身にし、鈍くします。心を静かにする行をやっている人たちは、生気に欠けるようになります。顔つきもぼんやりしてきますし、活力も乏しくなります。見かけは平和ですが、人生においては消極的なのです。このような平和の体験は、人生の能率だけでなく、生命そのものをも犠牲にしていると言えます。
心を静かにすれば、純粋意識の体験ができるだろうと期待して、このような修行に励むのは、蜃気楼のような幻想を追い求めているのと変わりません。雑念を心から追い出した状態を保っていると、心は受動的になります。なぜなら、雑念が一つもない状態になったとしても、心はやはり現在意識の思考のレベルにとどまっているからです。
必要なのは、心を空にする努力ではなくて、現在意識を思考の微細な状態に導いていき、ついには最も微細な状態をも超越して、積極的な「存在」の状態に到達することなのです。現在意識のレベルにおいて心を空にしておくのは、単に心を活動の領域から退かせて、受け身で不活発な状態におくだけのことです。
心を静める修行を行なっている人たちは、人生において平和を感じるかもしれませんが、それは想念を否定しているからなのです。そのような修行によって鈍く不活発になった心が、体験と活動の領域において活力を失うとき、心が活動しなくなった結果として一種の平和な感じが生じます。しかし、何か重大な問題が起こったり、何かのことで機敏に活動的に物事を処理する必要に迫られると、この人の心は無活動の習慣がついていますから、たちまち緊張してしまいます。このような方法は、個人と社会の進歩にとって有害です。
心の本質そのものが至福意識に変化しさえすれば、平和は永続的になります。平和を求めようとするならば、超越瞑想の実践によって、あらゆる幸福の源である「超越」の領域に心を導く方法をとるべきです。
心が平和でないと、恐怖や自信の欠如、その他さまざまなつまらない悩みが生じてきて、惨めな気分になり、価値あることを考えたり、実行したりすることができなくなります。恐怖とは自信の欠如にすぎないのですが、自信の基盤になるのは、至福の体験から生まれる満足だけです。この世界には、真に永続的な満足をもたらすものは何もありません。なぜかといえば、人間の心の大きな渇きを満足させるような純粋な幸福は、この世界のどんなものからも得られないからです。満足を得ることのできる唯一の場は、至福意識の超越界だけです。この状態に達しない限り、心の平和は、常に世の中のありとあらゆることによって脅かされ続けることでしょう。
人生において平和を開く黄金の門は、至福の体験です。この偉大な栄光を獲得し、一生涯これを生きることは、だれにでもできるやさしいことです。
《存在の科学と生きる技術『超越瞑想』
第三部生きる技術 第十二章世界平和の問題 より》
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この数日は
大切な友達やクライアントさんたちの
大きな感情の揺れを体感しました。
大きな解放が起きています。
現代社会の歪みからうまれた犠牲と思える
理不尽な女の痛みを体感し
昨夜は激しい怒りに高鳴る己の動悸を
ずっと聴いていました。
長いこと続きました。
ひとしきり感じるものを感じて
今度は至福感に包まれます。
痛みや悲しみを感じにくい心は
一見強い心のように思えますが
ひとたび心の隙間に感情が流れ込んでくると
対応しきれず深い苦しみに耐えきれず
怨念の塊となってゆきます。
体を蝕み
魂の光を忘れ
長い間つづくと
何も感じない冷たい光となってゆきます。
深い痛みや悲しみをを感じた心は
ひとしきり感情を味わうと
しなやかに広く大きく光だし
まわりの魂をやさしい光でつつみこんでゆきます。
心の平和は共振にて
宇宙中に広がってゆきます。
そうやって平和はつくられます。
《無になんかならない》
はごろも通信2019-3-21より
http://yohko-mayumi.hatenadiary.com/entry/2019/03/21/000823
お盆前の加太(かぶと)の林業センターで
受験生の次男竜飛(たっぴ)とお勉強をしました。
夕陽が綺麗な単線電車の崖を登り
カナカナ蜩の声が染み入る夕焼け空の
朧月を眺めながら
UFOや天使を見ました。
平和です。
嵐が近づいていますが
平和な一日です。
#マハリシ
#超越瞑想
#平和
#感情
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真弓 陽子 Yohko Mayumi
1994年 手術室看護
1999年より訪問看護に従事
三児の母
2014年瞑想を始め
スピリチュアルな世界に興味を持つ
『神聖幾何学』や
『イシスの性魔術』等の
ヒーリングツールを用いて
癒しと目に見えない世界について
人々に伝えています