Yohko-Mayumi’s blog " Forest Dance "

うみいき やまいき そらいき こころいき めぐるえなじー

『スーパーウーマン竹野ちゃん』




『スーパーウーマン竹野ちゃん』



竹野ちゃんは明治生まれ。

たしか、西暦1900年あたり。

岐阜のお寺で産まれて育ちました。

小学校の先生になって、

樺太にも教えにゆきました。

ミノとカサかぶって、

富士山にも登りました。




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長いあいだ先生をしてから、

結婚しました。

先妻が亡くなった家にお嫁に行ったので、

子供達のお世話をしました。

満州にもゆきました。

竹野ちゃんも女の子を二人産みました。

戦争になって、

貧しい暮らしになったけれど、

畑を作ったりして乗り越えてゆきました。

ちっちゃい体でいつもニコニコしながら

よく働いていました。

ほっほっほっとほがらかに笑いながら、

お料理したり、

畑をいじったりしていました。

80歳くらいまで、自転車にものっていました。

お琴をひいたり、

毛糸の靴下を直したり、

綿入れのはんてんを作ったり、

納豆を作ったり、

押し寿司作ったり、

絵を描いたり、

唄ったり。

なんでもやるんだなあと、思っていました。

竹野ちゃんの手作りの梅ジャムほど美味しいジャムは、

今まで食べたことがない。

三重県菰野に住んでいた竹野ちゃんは

歳をとって、

横浜の娘家族の家に住むことになりました。

横浜に住んでしばらくして、

喘息がひどくなりました。

リウマチもひどくなって、

立てなくなりました。

そこで、療養のために、

霧島の温泉付きの老人ホームに入りました。

さみしいというお手紙は届いたけれど、

竹野ちゃんはみるみる元気になってゆきました。

遊びに行ったとき、

すたすたと元気そうに歩いていて、

うれしくなりました。

竹野ちゃんが死ぬときは、

とても静かだったそうです。

それまで大病もせずとても元気だったけれど、

死ぬ一ヶ月前に、

ふと、食べなくなりました。

それから、

イヤホンで童謡を聴きながら、

ときどき起きたそうですが、

ゆっくり眠るように死んだそうです。

かぞえの99歳でした。

竹野ちゃんのことはほんのすこししか知らないけれど、

その喜びも哀しみも、

すこししかしらないけれど、

人知れず100年生き抜いた竹野ちゃんは、

時代と地球と自然とともに生き抜いた竹野ちゃんは、

スーパーウーマンだと思います。

竹野ちゃんは、

わたしのおばあちゃんです。

大好きなおばあちゃんです。




今どこで生まれ変わってるんだろうか。

それともひかりに帰っちゃったかな。




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鳥は風のおとを

波は水のおとを

大樹は大地のおとを

太陽は火のおとを

ひとも地球も銀河も

きのとおくなるほどの


くりかえし

音の壁をこえて




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たくさんのうつくしい人生と人生がゆき交う

つづいてゆく

くりかえし

くりかえし